【人物評:ウィル・A・ツェペリ】
ディオとの死闘で家を失ったものの、エリナと病床でいちゃいちゃする時間を過ごしていたジョナサンを、再び吸血鬼とゾンビが跋扈するロマンホラーの世界に誘う男。享年が50〜51歳であることは、チベットでの修行が「1863年 ツェペリ 25歳」と書かれていることから計算できる(ちなみに1部は1888〜1889年の出来事)

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ツェペリのことを考えるとき、最初に思い浮かぶのは「彼は本当に『男爵』なのだろうか?」ということだ。ツェペリが「男爵」と名乗るのは、ジョナサンとの出会いの場面であり、この1度しかない。しかし、彼は学者の家の生まれで、父親が大学の教授をしていたことを考えると、貴族階級であった可能性は高い。

しかし、彼が「男爵」を名乗ったのは、「ジョースター家が男爵家だったから」という理由があったからだと思う。イギリスは階級社会なので、ジョナサンと自分が同じ身分であることをアピールするために「男爵」と名乗ったのではないか。

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ツェペリは25歳で波紋をマスターし、それからタルカスに殺される50歳まで、25年間を石仮面を探すことになる。ここで考えたいのは「いつツェペリが結婚し、マリオが生まれたのか?」という点だ。実は、ツェペリは波紋の修行後に結婚したと思われる。なぜなら、波紋修行前に結婚していれば、マリオが75歳(以上)で死んだことになるからだ。

シーザーが10歳のときに、マリオは子供たちを捨てて、再開したのは16歳とされている。さらに、2部開始時の年代は1938年、シーザーは20歳なので、マリオの死亡年は1934年になる。

【ツェペリが25歳のときにマリオが生まれていた場合のマリオの享年】
1934−1863=71歳(波紋の修行開始年齢は65歳)

【ツェペリが20歳のときにマリオが生まれていた場合のマリオの享年】
1934−1858=76歳(波紋の修行開始年齢は70歳)

【ツェペリが40歳のときにマリオが生まれていた場合のマリオの享年】
1934−1878=56歳(波紋の修行開始年齢は50歳)

【ツェペリが50歳のときにマリオが生まれていた場合のマリオの享年】
1934−1888=46歳(波紋の修行開始年齢は40歳)

もちろん、マリオも波紋の修行をしているので、かなり若作りな可能性はあるものの、59歳からシーザーを含めて5人の兄妹の父親になり、60歳〜70歳でツェペリと石仮面の因縁を知って、家庭を捨てて波紋の修行をはじめるというのは無理がある。

ウィル・A・ツェペリが波紋をマスターしたあと、イタリアに戻り結婚、40歳〜50歳までのどこかの時点でマリオが生まれたが、ジョースター卿がロンドンの美術商から石仮面を購入したという噂を聞いて、家族を捨てた……と考えれば、マリオの年齢が現実的なもの(マリオが30代後半のときにシーザーが生まれ、40代のときに家族を捨てて波紋の修行に入り、6年後に死亡)になる。

また、男爵家だったツェペリの息子が、腕のいい家具職人になるということは、マリオもまた幼いときにツェペリを失い、そのことで家の財産がなくなってしまったと推測できる。おそらく、マリオはツェペリがトンペティに宛てた手紙を読んで、石仮面のことを知ったのだろう。

しかし、一方で、マリオはツェペリの私生児で、若い頃に結婚していたときにできた子供ではない、という説も考えられる。ただ、マリオの存在は荒木飛呂彦が公式に謝罪までしているので、結婚していたときにマリオが誕生したと思いたい。

ツェペリが波紋修行後、イタリアで結婚して、そこそこ生活を営んでいたという可能性は、彼の身なりからも推測できる。波紋修行後、25年間も旅をし続けていた場合、あのような洒落た服装は資金的にできないだろう。もっとも、波紋を使えば、路銀を得るのも簡単な気もするが、どこかに居を構えて情報蒐集していたと考えた方が、あてもなく彷徨うよりも効率的と言える。

ツェペリさんは経歴もある程度明らかになっているものの、空白の時代が彼の不思議さの源泉になっているようだ。しかし、考察を進めると、怪しげなビジュアルの裏に、しっかりと地に足がついた人生が垣間みえて面白い。